2016年4月26日火曜日

極限



医師から病状の説明があった日の翌日。


いつものように母の居る病室へ向かうと、


その病室の前に空のベッドがおいてありました。





そして、名札も違う人に代わっており、居るはずだった母が居ない。



看護師に尋ねようとしても、出払っててナースステーションには不在。





まさか。。。信じたくない。





そんな気持ちで、必死に病室の入り口の名札を1つ1つ確認すると、



母の名前が。





でも、その病室は個室。








安堵と共に襲う絶望感。




後で看護師に聞くと、





病室の都合で移動してもらったんで部屋代は不要です。

 急だとビックリしますよね。すみません。







万一の事があると言われてるのに、単に病室の都合なんて、

 
方便としても、これほど悪質でタチの悪い嘘も久しぶりです。





勿論、心配させない為の配慮というのは解ってます。


解ってても、事実は知りたい。事実が分かれば、


残された時間1分でも無駄にしたくはない。


そう思う反面、でも希望は持ちたい。母の体力を信じたい。


もしや、本当に病室の都合なのか。等、


もう日々思考が二転三転しており、支離滅裂状態です。



 

倒れてから3週間が経過しました。


この間、常に予断を許さない状況で、こんな思考が脳内をグルグル回ってます。


もう精神状態も極限まで来てる感がします。






個室に移って初めの数日は、自分が病室に到着するタイミングで、


必ずと言っていい程、母の調子が悪そうな状態ばかり。


息が上がって苦しそうだったり、寝息すら聞こえない位の状態で寝てたりと、


その度に絶望感を味わい、精一杯の感謝と愛情を表現しては、空振り状態。




勿論、空振りでいいのですが、


その瞬時に受けるダメージはハンパなく強烈です。






現在、脳梗塞と脳の出血の状態は落ち着てるようですが、


足は日々悪化しています。にも拘らず、母の体調は今のところ、


急激な悪化の兆候はなく、最近、鼻からですが液体の栄養まで摂取する程になりました。






見る事も出来ず、体を動かす事も、話すこともできない、


まして、今まで動いてた右側は完璧に動かなくなり、


その右足に至っては壊疽が進み、体力が戻れば切断、


戻らなければ、それが原因で幕を閉じる可能性もあるというのに、


それでも母は、まだ頑張りたいって事なのでしょうか。









もしそう思って母が頑張るのなら、



こっちも極限の極限まで付き合います。







希望とか奇跡とか、医師の宣告とか、あてにならない事は、もう、どうでもいいです。


何ひとつ当てはまる事もない事で、一喜一憂して消耗してる暇はない。


もう支離滅裂と言われてもいい。ただ母は今生きてる。


今のこの現実。これに、ただ向き合うだけ。



そして、最後に、これで良かった。そう言える為にも。。。



















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2016年4月19日火曜日

嗚咽

まず、今回の震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、

被災された皆様には心からお見舞い申し上げます。




こんな状況ですから、出来る事が殆ど無いかも知れません。

でも、1日も早い復興と、インフラの復旧状況等を見て、

心ばかりの支援品等の準備はしたいと思ってます。



頼むから静まって欲しい、そう願う毎日です。








ここ最近、更新なくてすみません。


日々予断を許さない状況、つまり毎日危機と隣り合わせの2週間。

 
体は大丈夫ですが、精神的に参ってました。


ブログでは、ありのまま、思ったままを記録して行きたい。


そう思って始めてますが、書きたくても、なぜか書けなかったんです。





今日医師から病状の説明がありました。


脳梗塞は、脳の腫れもどうにか引き、出血も止まってるとの事でしたが、


やはり、今回の脳梗塞は大きく、回復の見込みはないと言われました。




つまり、寝たきり、見える物も認識は難しく、話すこともない。と言う事です。





それでもいい。居てくれれば。。。





そう思ったのですが、足の病状の説明で一転しました。




母の右足は、足首から足先までが赤黒くなっています。


足が確実に壊疽してるらしく、薬も投与してるが、


回復の見込みは極めて低く、病状から手術も出来ないらしく、


もし、手術をしたとしても、感染症だの別の問題もあり、


それがまた生命に関わるとの事。




手術も出来ないという事は、そのままという事で、


菌が体内に回ってしまえば、体力が無ければ確実に亡くなるそうです。




手の施しようがなく、もうただ最期を待つだけしか出来ないようです。


もう八方塞がりです。なんでだよ、こんなのって、ありかよ。









可能性がゼロでないのなら、奇跡が起こせるなら、


あらゆる手段を探したい気もする反面、今の状態で居る事は母が本当に喜ぶだろうか。


どう決断したらいいのか。悩ましい限りです。









でも、母が居なくなる日が確実に近づいてます。






これから、毎日どうやって母に声をかけたらいいのか、


親父には、この事伝えた方がいいのか。


母方の親戚や友人には伝えるべきか。




あれこれ考えながら、家に着き、玄関を開けた途端、

溜まってた物が一気に噴き出したようで、涙してしまいました。






もう居なくなる。。。



どうして、どうして、どうして。。。





そうやって、自分を責め続けてます。



そして、きっと母も同じ思いをしてると思います。







もう最期が近いのであれば、


奇跡を求めつつも覚悟はしなくてはなりません。


せめて最期は母が苦しまず、安らかに眠れるよう願うしかありません。






いつ言ったらいいのか、そろそろ言うべきなのか、


でも、まだ言いたくないけど、絶対に伝えたい事があります。





俺、アンタの子供で良かったよ。産んでくれてありがとう。




 





















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2016年4月13日水曜日

絶句


運命なのか、それとも宿命なのか。



でも、ありったけの力で抵抗し続けたい。

このまま、時間に流されたくない。そう思う毎日です。





今日の母の容態自体は安定してました。

心電図計のアラームも鳴る事はあまりなかったですが、

確実に呼びかけには、反応が鈍くなってます。



もう動かせる手足が確実に無くなりつつあるようです。

今回は左脳の脳梗塞、つまり右側に症状が出ます。



右側は母にとっては命綱です。

右手でしか物は持てませんし、杖も手すりも食事も右手でした。

右足は、動作の要で、右がしっかりしていたからこそ、

リハビリだって頑張れたし、これまで歩こうと思えてたんです。

そして何より話せる事。これが本当に大切だったと思います。



でも、今回は、その全てを奪い去りました。



そして昨日から心配だった母の右足ですが、

その状況を見て絶句しました。



足先は真っ白、でも足の甲には多数の内出血のような紅斑。

血栓が飛んで、血管が破裂して内出血したのでしょうか。

昨日より確実に悪く、そして血が通ってないように冷たくなってます。




時々、目を覚ます事はあるのですが、

悲しそうな顔で、時折、右目からは、わずかな涙が。

涙もわずかしか出ないなんて。。。







自分達が受ける苦しみは、甘んじて受けますので、

どうか、もうこれ以上、母を苦しめないでください。

今、一番の願いです。


また絵手紙みたいよ。元気になってね。














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2016年4月12日火曜日

覚悟



今、まさに絶望の淵に立っています。

一進一退を繰り返してるようですが、母の容態は思わしくないようです。



昨日程、苦しそうではありませんでしたが、まだ熱はあります。

本日、たまたま医師の回診のタイミングと重なったので、

医師に様子を尋ねてみました。



当初の通り、峠は越えたが安心は出来ないと言われたので、

母の動きが鈍くなってる旨伝えました。

今まで元気に動いてた右手の指の動きがなく、

右足も殆ど動かさなくなったんです。元々の麻痺は左半身です。

麻痺側の方が良く動く事が非常に気になったんです。



医師が手や足の様子をみたところ、

足に内出血か血栓が飛んだ状況のような、

症状が出ているのが見つかりました。



それを見るなり医師の表情が一変しました。



「これが出てるという事は非常に危険」



そう言われてしまいました。


つまり、血液をサラサラにする薬剤を投与しなくてはならない事になります。





脳梗塞に知識のある方なら、お解りになると思うのですが、

この薬剤を投与する際の最大のリスクは血管の破裂です。


万一破裂したら、助かる見込みは無くなります。





医師も言葉を選び選び説明してくれましたが、



「元気になる可能性は低い」



そう断言されました。




そんな医師とのやり取り中、張り裂けるような思いで、

ふと母を見ると、その母の右目からは涙が出てました。

恐らく、医師との話しの内容が理解できたのでしょう。

全く、寄りによって、こんな時に話を聞いて理解するなんて。。。



もう怖くて怖くて、そして悔しくて悔しくて仕方ないのでしょう。



大丈夫だから泣かなくていいよ、先生にお任せしよう。





そう言ってあげる事しか出来ませんでした。



そして、その薬剤を投与が始まり、母は眠りにつきました。



それ以降はずっと、母が眠る姿を見ていました。





帰り際、意を決して、母にこう言いました。




また明日くるからね。大丈夫だから。ゆっくり休むんだよ。

でも、もし辛かったら、もう頑張らなくていいよ。

今まで頑張ってきたんだから。




母を楽にしてあげたい。けど助かるなら助けて欲しい。

わがままな願いですけど、天に届くなら、この願いを届けたいです。



日に日に不安と恐怖が増していきます。

そして今夜も、まず着信が無い事を願うだけです。


元気になったら、食べさせてあげるから。














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不安定


母が3度目の脳梗塞を再発して1週間が経過しました。



長年住んでる我が家ですが、異様な位静まり返った状態。

男2人ですから、女性が居ないと、春の日差しは差し込んでも、

日陰のように暗く感じます。


 

今日の母ですが、医師からは峠は越えたとの事。

ただ、まだ何があるか解らないので、暫くこのままと言う事でした。




にも関わらず、母の心電図のアラームは鳴りっぱなし。

脈拍が異常に高い状態、しかも熱もあり、息も苦しそうでした。




朝、食事の液体を鼻から摂取したそうで、その際戻してしまったそうです。

もしかしたら、誤嚥性の肺炎でしょうか。辛そうで可哀想でした。



病院に居る間、ずっと息も荒くて短いし、心拍数のアラームは鳴りっぱなし、

多少落ち着いても、またすぐアラーム。呼びかけにも反応は鈍く、

昨日の元気が全くありません。動いてた右手も今日は全く動かず、

自分の指を握り返す事もありませんでした。



そんな状態だったので、今日は、心配で面会時間ギリギリまで滞在してました。

安心したいけど、また今夜も電話が気になって仕方ありません。

明日は元気になってますように。
















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2016年4月11日月曜日

落胆


朝から親父とちょっとした喧嘩。



「祖母が東京に居る間に電話して、ちゃんとお礼を言え」



みたいな事言われ、思いっきりカチンと来てしまいました。




祖母と一緒にタクシーに乗って、病院を離れておきながら、

先方が断ったとは言え、食事の1つもご馳走しなかった父に言われたくはありません。



それに、こちらだって、きちんと電話でお礼するつもりでいました。

東京滞在の予定を教えてくれなかったので、それならば、

家について落ち着いてるであろう、週明けにでも連絡をと思ってたんです。





そもそも、俺はアンタの小間使いじゃない。

本当なら親父がやるべき事じゃないのか?



まあ、ここまで言えば喧嘩になりますね。





そんな事がありましたが、母の病院へ。



おかげ様で、母は少しづつですが、意識を取り戻しております。


ベッドを起こして上体を上げたまま目を開けてました。

今日の進歩は、ベッドを倒してくれという合図が出来た事です。

でも目は開けてるものの、まだ空間や物を認識出来ておらず、

まだ喋る事も無理な状態です。



そんな中、とうとう自分が喋れない事に気付いてしまったようでした。

泣きそうにな顔を見て、ただ、



大丈夫、大丈夫。今喋れなくてもいいから、ゆっくり休んで。



そう言ってあげる事しかできませんでした。




悔しいでしょう。

辛いでしょう。

悲しいでしょう。





とりあえず、母はどうにか生かしてもらう事が出来たようですが、

現在の状況を本人が受け入れる事が出来るのだろうか。

それが心配で仕方ありません。

今後、このような状態で、帰宅できるのか、それとも介護施設か。

食事はどう取り入れるのか等、様々な不安要素は、まだまだ山積みです。




もう絵手紙も描けないんだろうか。。。



















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2016年4月10日日曜日

あっぱれ


昨日、祖母が上京してきました。


どうしても母の顔が見たいと、朝6時の電車に乗ってきたそうです。



再会したのは20年振り位でしょうか。

自分の事はその当時の印象のままだったようで、

始め誰だから解らなかったらしく、驚きっぷりが凄かったです。

そりゃ歳月が経ってますから、こちらもオッサンになったって事です。



肝心の祖母ですが、もう奇跡としか思えない程元気でした。

足腰丈夫で杖なしで普通の成人女性と同じ速度で歩きます。

言動はせっかちな程、チャキチャ。


70歳の時に、近所に空き巣に入った54歳を走って捕まえたという、

すごいエピソードを持ってる人です。ですから、痴呆なんて縁遠く、

20年前に、祖母と一緒に、調子に乗ってビール飲みまくり、

周囲にヒンシュクを買ったことや、30年以上前の帰省時のエピソードなど、

しっかり覚えました。



そして、何より、お調子者。もう自分にそっくりなんです。笑



そんな祖母も、なんと91歳!


本当なら一緒に酒でも飲んで、騒ぎたかったのですが、

残念ですが、今回は事情が事情だけに、お預けとなりました。



そして、思い出話に花を咲かせたところで、

母の病床へ向かうことになりました。



病室の前で、気が動転しないよう、

簡単な状況を再度説明しておき、いざ母のベッドへ。



あーっ



一瞬ため息が漏れました。


やはり、そうでしょう。そりゃ好ましい状態ではないので、

ため息位は出てしまうもの。ですが、そのあと、やさしい声で母を呼んだり、

母の肌艶の良さや、髪の毛の白髪など、ごく普通に印象を語りだしたのです。



結局、祖母のいる間は、母は寝ている状態で、反応がなかったので、

残念だったようですが、帰り際に放った言葉、



寝てたけど、顔が見れて良かった。

今度、元気になったら、また声でも聴きたいな。




この言葉にすべて救われたような気がしました。



そうです、私の祖母はスーパーばあちゃんです。

伊達に91歳まで生きてません。一般論で、あれこれ気をもんだ自分が、

何とも恥ずかしくなってしまいました。



辛い気持ちもあったでしょう。

でも、そんな様子は何一つ見せる事なく、本当にただ会いたかった。

様子が見たかった。そう思える完璧な対応でした。


この場を借りて、謝りたいと思います。

ばあちゃん、ごめんなさい。





そして、母の容態ですが、とうとう目を開いたのです。

反射的に目を開ける事はあったのですが、あくまでも何かの反動で開いただけ。

しかし、昨日は、何もない状態で目を開き、瞬きまでしていた状態が長く続いたのです。



恐らく、まだ何も見えてないか、見えていても何か認識は出来てない状態でしょう。

それでも、少しづつは良くなっていて欲しい。今日は少し希望が持てるような気がしました。





そうです、母はスーパーばあちゃんの娘です。

そりゃ、ちょっとやそっとじゃ、負けないはず。

絶望の淵から這い上がろうとする母のパワーと、

祖母のポジティブなエナジーに今日はあっぱれな1日でした。
 


あなたの息子、そして孫で本当に良かったよ。




誤字はお愛嬌って事で。




















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2016年4月9日土曜日

タイミング


今日も眠れません。今日が一番眠れないかも知れません。

なぜなら、今日、高齢の祖母が上京するからです。



そうなんです。私の母の母、つまり私の祖母はまだ元気で生活してるんです。



今回は、かなり重症なため、万一の事も考えて、

事実として、祖母へ連絡するよう父に伝えたのが、

そもそもの間違いだったのかも知れません。





あっと言う間に、祖母や親戚からの連絡で携帯が鳴りっぱなしになりました。

電話口では、そろって病院に来ると言い出されてしまったんです。





連絡を受けるたびに、祖母や親戚に言いました。

今は一刻を争う状態ではないから、上京する必要はないと。




しかし、祖母を始め親戚は全く聞き入れてくれません。

母は、そもそも元気で暮らしてる高齢の母(祖母)に、余計な心配をかけたくない。

そう常々言っていたのです。その気持ちを1人の親戚だけは理解してくれましたが、


しかし、東京にいる親類は、強引に明日行きますと言い出し、

祖母に至っては、顔を見せてくれと電話口で懇願し、少しパニックに。




それは親としては娘の状況を知ったら、そう思うのは当然。

勿論、祖母の気持ちも分かります。かと言って、

母に会わせたくないなんて一度も思った事はありません。

出来る事なら元気なうちに顔を見てもらいたいと思うくらいです。




ですが、今は会って欲しくなかった。

今は顔を見に来るタイミングでは無いんです。




今の状況で顔を見るという事は、今後容態がどうなるか全く解らない状況、

先の見えない不安を目の当たりにする事になり、我々家族と同等、もしくは、

それに近い程の心配事として高齢の祖母や親戚が抱え込む事になるからです。



ましてや、日々自分と顔を会わせる距離にいない祖母です。

事実だけを理解して、現実を受け入れてくれればいいのですが、

何か不安がよぎっても、自分がそれを払拭してあげる事も出来ませんし、

場合によっては嘘も方便で、状況に応じての対処が難しいからです。




会う必要がないのは祖母や親戚の為なんです。






案の定、昨日強引に顔を見に来た親戚は、変わり果てた母の姿にショックを受けていました。

そして、自分はその親戚に、あえてこう言いました。





今見た母のこの状態を、高齢の母(祖母)に見せるつもりなのかと。




その後、その親戚は祖母に連絡をしてました。何を言ったかは分かりません。

それでも、祖母が上京したがってると言うので、もう諦めて母に会わせる事にしました。




ある種、本当に純粋な人達なんです。





母は要介護になってから、

なんで頑なに祖母や親戚に会う事を拒否していたのか。

今になって分かりました。




現実を知らなければ、心配する必要が全くない事。

とはいえ、遅くてもダメ、早過ぎてもダメ。

こういう告知って本当に難しいと痛感しました。




そんな母に、一応祖母が上京すると伝えておきました。

理解できてるかどうかは分かりません。でも昨日の母は私の指を2本の指で握り返してきたし、

目の動きが活発になっていて、今にも開きそうな感じになってきてます。




このまま、今の調子で母が回復してくれる事と、

病院からの連絡がない事を願いつつ、

今日来る祖母の心配をしながら、朝を迎えてしまいました。







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2016年4月8日金曜日

決断


今日も病院へ行きました。



午前中に目が覚めたのですが、どうも体調が思わしくなく、

疲労が溜まってるのか、それとも食事が喉を通ってないからなのか、

自分では解りませんが、起き上がる事が出来ず、結局昼までグダグダしてました。



正直、空腹を全く感じないんです。
 
水分は摂取してますが、食事は見舞いが終わった後の夜1食だけ。

やばいですね。




母の容態ですが、昨日より動きが少ない感じがしました。

呼びかけても反応が少し鈍く、単に状況が少しづつ把握出来て、

落ち着いてるのならいいのですが、体力が落ちてる可能性もあります。

ただ、何かを伝えようと、じたばた体を動かす際、大丈夫だよと言うと、大人しくなったりもします。




脳の検査もあったのですが、それについてまだ医師からの説明はないので、

今の段階で、良い方向に向かってるのか、まだ判断する事は出来ません。

そんな中、やはり今日も担当の看護師から、

延命措置についてどうするか、尋ねられました。




緊急を要する際、これでは医師も困るだろうし、可能性がゼロでなければ、

何らかの結論を出さないといけないと思い、昨夜、延命措置について、自分なりに調べました。

正直、何となく理解してる程度だったので、その内容や画像等を見て衝撃を受けました。




賛否あるかとは思うのですが、自分が感じたのは、

これを母にはしたくない。でした。




勿論、存在してくれてるだけで、心の拠り所にはなります。

しかし本人は苦しい、辛いとも言えない状況で、雁字搦めで体内に管を入れられ、

ただ単に生かされてるだけの状態を希望するでしょうか。

そう思ったんです。




脳梗塞で半身麻痺になって7年程度になります。




この約7年間、母は、長年自分でやっていた店をたたみ、大好きな料理、園芸、

趣味も諦め、体力と相談しながらの外出に、日々の生活は家族の支援頼み。

また、思った事が脳内でうまく纏まらず、言いそびれたり、誤解を招いたり、

時には感情のコントロールが出来ず、家族と喧嘩になったり、

そんな今の自分に失望と絶望も味わいながら、どうにか折り合いを付けて、やって来てたのです。



そして何より、後遺症と戦いながらも、本人は必死にリハビリに耐えてきたのです。





本人が一番辛かったんです。





これほどの苦しみを味わい、受け入れたくない現実を突き付けられて来たというのに、

さらに苦痛と辛い思いをさせる事は、自分は酷だと思いました。




ですので、本日、決心しました。




身体に負担のかかる延命措置は拒否します。




そう看護師に伝えました。




劇的な回復は無理でも、寝たきりだっていい。

話せなくたっていい。ただ、一緒に過ごせるこの時間を大切にしたい。


そう思い、今日も病院からの連絡が無い事を願いながら、1日を終えます。
















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2016年4月7日木曜日

葛藤


早速、母のいる病院に行きました。



事前に一般病棟に移った連絡があり、少しは容態が落ち着いたんでしょうか。

一刻を争う事態ではないものの、ナースステーション横の重症患者用の病室でした。



母はまだ目は開く事は出来ませんし、勿論しゃべることも無理ですが、

手足だけは昨日より激しく動かしており、不快な部分を掻こうとしたり、

心電図の配線等を取り外そうとしたりと、ちょっとヤンチャなようです。

あと、クシャミですが、元気だった時と同じ、思いっきりのいい物で、驚きました。



話せなくても、こちらの呼びかけに、確実に意思表示は出来てるように見えます。



「これでいいね?」



そう尋ねると、



「いいよ。」



と手足の動きで、あたかも口頭で答えたような、絶妙な間合いで動かすのです。



「OK?」



と、聞いた際は、わずかに右手の親指と人差し指の指先をくっつけて、

指で2回程、OKと表現してました。





これが医学的にどうなのかは不明ですが、

必死に答えようと、体を使って動かすのは、母の意思と思うしかないし、

今は、そうだと信じてます。




いろいろと尋ねたい事もありますが、とりあえず今は経過を見守るしかない状況です。

やはり、良くなって欲しい。少しでも長く生きて欲しい。生きてるだけでいい。


そう思ってしまう自分もいます。






明日か明後日に再度検査があり、その検査の結果で医師からは、

今後について何かしらの提案があると思います。



今は多くは望みません。

ただ容態が急変しないことだけを祈るばかりです。





母の絵手紙が見つかりました。季節にあったものをUPしたいと思います。
 



 














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2016年4月6日水曜日

腹を括りました。



正直、いつかはこんな日が来ると思ってました。

覚悟はしていたつもりですが、あまりにも突然で、

自責の念や後悔ばかりが、脳裏を駆け巡り、

今後の事も含めて冷静な判断が出来るかどうか分かりません。



病院からの緊急連絡に怯えつつも、

体は休めようとしても休まらない状態ですが、

気持ちを落ち着けなくてはいけないですし、

どうにもならない現実なら、それは受け入れるしか無い訳で、

自分の平常心を取り戻す意味で、ブログにしてみました。





今日、母が脳梗塞を再発してしまいました。3度目になります。




今日は8時前に起床し、母の朝食を用意。

昨夜眠れなかったので、休んでくる旨伝え、自室で寝てました。

朝起きた際も母は特におかしな様子もなく、普段通り会話して、食事をとってました。



何も予定のない日の、いつものパターンです。

朝食後リビングにいる事もありますが、昼食まで小休憩する事が多く、

母はいつもその間に、テレビか、寝てるか、通販のカタログを見てるか気ままに過ごしてます。



何ら気に留める事もなく、部屋で休み目が覚めたら午後2時でした。



昼食の準備をと慌ててリビングに行ったら、母は倒れてました。




大きいイビキで寝てるようですが、麻痺もあるため床で寝ることは絶対にありません。

異常に気付き大声で呼びましたが、反応が全くありません。


ただ、膝から下の足が動くようで、呼びかけに合わせて反応がありました。


そこから先は、もうすぐ119番通報し、病院へ行きました。





医師の説明は、脳梗塞の再発でした。

今までは右脳が梗塞を起こしてたのですが、今度は左脳だという事。

梗塞の範囲が広く、かつワーファリンを飲んでる影響か、

中で出血してる可能性もあり、万一の事もあるという事で、

延命について、話し合っておいて欲しいと言われました。




昨年末、圧迫骨折からやっと元気になり、デイサービスに通い、

つい数日前には、近くへ散歩がてら食事と桜を見に出かけたばかりです。

そして5月には、介護施設で知り合ったお友達とバス旅行。

さらに自分と二人でまたバスツアーと、予定が目白押しで、楽しみにしていました。



本当に楽しみにしていたようで、母が使うテーブルの上には、

自分と行く、記入済みのバスツアーの申し込み用紙や、

連絡先等のメモがそのままに。。。そんなの見ちゃったら泣けてきました。




もう、一緒に旅行に行く事は、多分無理でしょう。

運が良かったとしても、もう以前のように歩く事は絶望的です。

おそらく、寝たきり、意思疎通は無理の状態になるでしょう。





もう、冗談言い合ったり、思った事を口にしたり、時には喧嘩したり。。。

そして、家で生活する事すら出来なくなりそうです。




話せなくてもいいから、目を開けて、自分を見て欲しい。

そして、自分の言う冗談に反応だけでもして欲しい。

車椅子でもいいから、一緒に外出したい。

そして、意識のあるうちに、ありがとう。と言いたい。


今は、そう願ってます。



辛かったら頑張らなくていいけど、

まだ、あと少しだけ頑張れ。お袋。









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