2016年5月31日火曜日

薄情


そんなに大きい家ではありませんが、


さすがに1人だけだと、ちょっと広すぎて怖いですね。



戸締りも厳重になり、使った事のないチェーンロックまでしてます。笑





今は誰もいないけど、後で誰かが帰ってくる。


その時の1人は、貴重かつ至福の時間だったのに、


今の1人の時間は、非常に長く、寂しさを感じます。






その後の父の容態ですが、落ち着いてるものの、


まだ元気に動ける状態ではなく、病室でだるそうにして居たり、


血糖値が高くインスリンを注射されたてます。


規則正しい生活で、少しは変わってくれればと思ったのですが、


食事も提供されても、そのまま放置して、後で気が向いた頃食べたり、


他の患者さんへの配慮もなく、好き勝手な事して過ごしています。


結局は、自宅での生活と何ら変わってなく、愕然としました。



 
これまで他人を気遣う生活なんぞ考えたことすらない人です。


今日も友人が見舞いに来てたのですが、話し声が大きいから、


病室だと他の人の迷惑になるから、デイルームで話すよう言ったのですが、




他の人は、もっと大きい声だっただの。

お前は神経質すぎるだの言い出す始末。




こういう人なんですよ、うちの親父は。


自分の配慮が足りない事を忠告されると文句だと言い出し、


挙句の果てには、反論してくるんです。


自宅なら細かい事は言いませんよ。


でも、そこは病院、しかも病室です。


他の人に迷惑が掛かるんです。


もう、謝るまで徹底的に言ってやりました。




はいはい、すいませんねぇ(うるせぇなぁ風に)。




捨て台詞吐き捨てたので、また言い合い。


もうジジイとはいえ、他の患者さんの配慮がないと忠告されて、


逆切れしてるとか、本当に恥ずかしい限りです。


アルコール飲んでなくて、これですよ。


これが、もし飲んでたら、一体どうなると思います?


母も自分も相当我慢して来てる事に、まだ気付けないとか、


もう、一体どういう神経してるんだか、全く理解できません。


アルコールの問題もあるのですが、今後生活していく上で、


やはりADHDか、もしくは精神科を受診させるべきか、正直悩む今日この頃です。








そういえば先日、母が良く通っていた介護施設のスタッフさんが、


忙しい中、焼香してくださるとの事で、久々に我が家を訪問してくださいました。


もう利用者でもない母を気にかけて下さるだけではなく、


残された我々親子の事まで心配して下さって、本当に有り難く思いました。


そして、そこの利用者の有志の方々が、花を贈ってくださり、


母への気遣いが、本当に有り難く感じました。





一方で、もう1つ通ってた介護施設も、ケアマネですら、


連絡の1つもなく、さらに焼香にすら来ないとか、どれだけ薄情なんだか。





介護施設の方は、4月末で辞めたので、もう関係は無くなりましたが、


そこまでビジネスライクにするならば、利用料等の請求と支払いが完了してない間は、


一応利用者として扱った方が、トラブル回避にもなるし、いいと思うのですが、


実際は、いつも通りの請求書と領収書に同封されたお悔みの文書。笑


もう利用者じゃないけど、払う物は払ってね、で、ついでにお悔み申し上げますじゃ、


正直、あまりいい気分に思う人って居ないんじゃないでしょうかね。





ケアマネに至っては、


早々に介護保険の資格喪失手続きを済ませた為か、全くの音沙汰無しです。



もう関係ないと言えばそうです。結構口煩かった自分が窓口でしたから、


終わって清々してるかも知れません。親身になってるようで、結局はビジネス。


ならば、最後締めくくって、きちんと終わらせるのが、ビジネスってもんです。




こういった、ご都合ビジネス解釈が、


結局は負荷が増える事になる訳で、それに気付かないんですかね。






 
薄情な人は、どこにでも居ますね。


こういう人って、事件や不幸等に顔を突っ込みたがるけど、


決して歓迎されてないって、自覚する事はないんですよね。




頼んでも居ないのに、告別式後、勝手に火葬場まで来た人が居ました。


大親友でもないのに、そこまで母を大切に思ってたのかと、


ちょっと気色悪さすら感じました。




ただ先日、父を訪ねて来た際、入院中で不在と伝えると、


母に線香1つあげたいと言う事もなく、そそくさと帰っていきました。



なのに49日には出席すると言い出す始末。




この人は母が脳梗塞で必死にリハビリしてる最中に、


自宅に何度も押しかけては、見舞いに行きたいから病院名をと、


しつこく芸能レポーター張りに訪問してきた人です。


本当の親友でもないのに、あんな姿見せられる訳がない。


しっかり断っておいて、正解でした。




そして、得た情報を、来店する客にベラベラと喋って、


不幸やら噂話を営業活動に使い、人を食い物にしてきてる人です。








また、介護施設で一緒だった、とある方は、誰から聞いたのか、


母の携帯に何度も連絡をしてきて、仕方なく訃報と葬儀の件を伝えたところ、


必ず行きますと言いながら、顔すら出さない。欠席の連絡もなし。




まあ、この方は、その施設にかなり長く通ってる人なので、


自分が知らない事が嫌なんでしょうね。


で、母の訃報を知ってたと、言いまわるのでしょう。


施設では威張り散らしていて、煙たがられてるのに、本人は気付いてないんですね。





共通するのは、自己満足の為に迷惑がかかる事を考えない人。





憎まれっ子世に。。。





昔の人は、間違ってませんね。笑







話を戻して、お花のお礼も兼ねて、そして別の日にその介護施設を訪問しました。


施設利用者の皆さんにも挨拶をしたのですが、




あら、お母さんに似てるわね。




そう言われました。




これまで、長く生きていて、母に似てると言われるより、


父に似てると言われる事が多かったのですが、


不思議な事に介護で母との距離が近くなるにつれて、


母に似てると言われる事が、増えてきていました。




以前は、親父と瓜二つと言われ、もうグレそうになる事が多かったのです。笑


自分で言うのも何ですが、父方より母方の方が美男美女が多く、


芸能界のスカウトだのが来たりだの、好みの問題はあるとしても、


まあ誰が見ても明らかに美形揃いなんです。




父の子でもあるので、自分はあいにく、到底及ばないレベルの見た目なのですが、


まあ、似てると言われるなら、お世辞でも美形よりな母方の方が断然気分はいいですし、


今となっては、そっくりではないにせよ、


自分に母の面影が残ってると言う事が、とても嬉しく感じます。






母の事を気にかけて下さり、ありがとうございました。

皆さんがお元気で、母の分まで楽しい日々を過ごす事が、

我々家族と母の願いです。このたびは、本当にありがとうございました。

どうぞ、お体ご自愛ください。





そう伝えてきました。



薄情な人が居る中でも、こうやって素敵な方々と巡り合えたというのに、


お別れしなくてはならないのは寂しいですが、


自分は、この方々には一生感謝し続けるでしょうし、


本当に母の分まで、元気で居て欲しいと心から願ってます。


ありがとうございました。




素敵な花、ありがとうございました。

















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2016年5月24日火曜日

入院


とうとう、入院になりました。自分ではなく、父です。




あの、ヤブ病院(失礼)に行ってからも、どうも体調も優れず、


あまり病状も変わりなかったので、朝から、かかりつけの病院へ。






37度は越え、時には38度台の熱が出てるのに、寒い寒いと言い、


体調も熱中症にしては、ちょっと違うようだと医師が判断してくださり、


CTで検査をしたところ、どうやら肝臓がやられてるらしく、


大きい総合病院で診てもらう必要があるとの事でした。





病名は「肝膿瘍」(かんのうよう)。






簡単に言うと肝臓に膿が溜まってる状態。


なぜこうなったのかは、特定は難しいらしいのですが、


肝臓に細菌が入り込むと発症するようです。






いつもの病院から、母が以前通院で行っていた、総合病院へ救急搬送になりました。


4月に救急車に乗り、また今月も救急車に乗る事に。


しかも、何の因果か、今月が丁度母が定期的に通院するタイミング。


予約はキャンセルしてありますが、もう母が通院出来ない分、


今度は父がお世話になることになりました。





医師の説明は、肝臓の膿を管を入れて取り出す必要があるとのこと。


肝膿瘍としては、ちょっと重症との事でした。膿を出し抗生物質を投与して、


体力があれば、大丈夫との事ですが、万一の場合、敗血症になってしまうと言われました。





つまり、親父まで母と同じ原因で、終わってしまう可能性があるようです。




いくら大切な妻だったとは言え、全く、どこまで後追いをすれば気が済むんでしょうか。



幸いにも、一応処置はうまく行ったようですが、意識障害があり、


無意味に体を動かしたりするようで、身体拘束されてました。


数時間して容態は落ち着き、会話が出来るようにはなりましたが、


体は時々勝手に動いてしまうのと、管を入れたままなので、


右腹部周辺が痛むようで辛そうでした。






今はカテーテルやら、おむつ状態やらが、とても恥ずかしく、


情けないとボヤいていましたが、それより大切なのは、まずは回復することです。


この際ですから、しっかり休んで、健康体を取り戻してほしいです。





母が旅立って3週間。


墓地、仏具だって、まだ予約段階で、これから手続きをしなくてはなりませんし、


まだ49日も過ぎてませんので、長引けば49日にも影響する可能性もあります。


香典返しの住所の確認と、挨拶文の印刷手配もあります。




さらに、父には生命保険等の手続きだけ聞いて来いと言ったのに、


勝手に母の口座を凍結手続きしてしまった為、各種引き落としが出来ない状態にあり、


カード会社や、施設利用料、その他引き落とし等の確認やら、


連絡等もしなくてはいけないというのに、

 
もう勘弁というか、泣き事と愚痴しか出てきません。




神様、俺にパワーを!!笑






この待合室も何度利用したことか


















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2016年5月23日月曜日

憤慨


その後の我が家は、おかげさまで平和です。


父のアルコール問題から始まり、次に、認知症?と思えるような症状で、


再び介護生活?と、半分パニックでしたが、どうやら原因は熱中症だったみたいです。




皆さんを巻き込んで、心配をおかけして申し訳ございませんでした。





意味不明な言動や、記憶障害、歩行困難等は解消され、


まだ本調子ではありませんが、食欲も少しづつ戻っており、順調なようです。


とにかくスポーツドリンク、麦茶等水分を摂り、ちょっと高いアスリート用アミノ酸やら、


ビール酵母等の補助食品等も、合わせて取らせてます。


自分でコンビニまで買い物に行ったり、仕事に出かけたりしてるので、


まあ大丈夫でしょう。





それにしても、熱中症って、重症になると、


認知症かと思えるような、認知機能の低下等が出るんですね。

 
ただでさえ、母が入院していた時から食事回数も食欲も減ってる状態ですし、


精神的にも、かなり参ってますから、今までは大丈夫だった事でも、


それが通用するような体力、精神力状態ではない訳です。


今回の事態は、父も相当堪えてるようですので、


ついでにアルコールから足を洗ってくれると助かります。
 





しかし、今回父が気力を振り絞って行った病院ですが、


ここの病院の対応といい、医師の診察といい、余りにも酷くて久々に激怒しました。


まず、そこは小さなクリニック等ではなく、近所では歴史のある病院です。


一応CTまであり、病棟だってある、それなりの病院です。


必要な処置等終わっても、動けなくて数時間椅子に座ったままの父に、



誰も声をかける訳でもなく、横にするなり、休ませるなりの配慮も全くなし。


必要な処置や点滴をしたら、歩いて帰れるか帰れないかは、


患者の状態を見て判断すべきなのに、





診察等終わって数時間経過しますが、まだ帰らないので迎えに来てください。





とまで電話してくる病院です。


なんの為の病院なんですか?と聞きたくなりました。





しかも、父もいつもの病院に行くつもりだったのに、


体が徐々に動かなくなってしまい、仕方なくその病院へ行ったと言ってるのに、


診察した医師も医師で、まるで認知症の可能性のある不健康な人が来たような扱いで、



問診等からも、熱中症、もしくは熱射病と判断しなかった為でしょう。


自分が迎えに行った際、病状の説明を聞いた時も、


熱中症、熱射病と言う言葉は、その医師からは全く出ず、


やれ年齢の割には耳が遠いだの、介護認定を受けてるのか、


さらには、認知症があるのか等まるで要介護者扱い。





そして、最後に、いつもの病院で再度診てもらってください。と言う有様。


ふざけるな。もう二度とあの病院は使いません。





やはり、救急受け入れが出来る病院がベストですね。


風邪とか、予防接種とかなら、その病院でもいいのでしょうが、


救急対応に慣れてない病院では、扱いが余りにも酷すぎる場合があると思います。


やはり体が思うように動かないような時は、自分で病院に行こうとせず、


救急車を呼ぶのが無難ですね。勉強になりました。





連日の真夏日のような天気ですので、


温度変化に対応できなくて熱中症になる人が多いです。


まして、要介護者は温度差を感じにくくなってますので、


日々介護されてる方は、その点も考慮してあげて下さい。





しかし、父もどこまで手がかかる人なんだか。。。トホホ









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2016年5月20日金曜日

勘弁


介護施設のお迎えや、月1のケアマネの訪問、


通販で買った物を届けてくれる宅配業者等、


母が元気だった頃は、それなりに訪問者が居たのですが、


旅立ってしまってからは、あれ程鳴っていたインターホンも鳴らず、


訪問者もなくて、我が家は静まり返ってます。





にも拘わらず、その反動かのように、夜になると父の罵声が響き渡り、


ご近所にも気を遣わせてしまう事となって、大変恥ずかしい思いをしてました。






ですが、ここ最近は、なんとか落ち着いてます。


と言っても、体調が良くないから飲んでないだけです。


体力が戻り元気になって、また飲みだしたら、罵声を浴びせてくるかも知れません。


今後1回でもそのような事があったら、病院にでも行ってもらうか、


自分が見切りをつけるか、この何れかになるでしょう。


酒癖の悪さというか、これで何十年も嫌な思いしてるんです。


何を言おうが何をしようが、もう容赦せず病院送りにします。


飲んで自ら滅びるだけなら、黙っておきますが、迷惑をかけるわ、嫌な思いをさせらるわじゃ、


こちらの精神状態がおかしくなってしまいます。


こんな事を親にはしたくないですが、


万一の時は、そうする覚悟を決めました。


果たして、本人は危機感を感じてるのだろうか。





この数日大人しく、飲んでないのは、軽い熱中症みたいだからです。



食事もあまりとらず、家に居たくないとかで、


数時間飲まず食わずで、あてもなく散歩し、帰宅後摂取するのはアルコール。


これを繰り返してたんですから、ある種、自業自得と言いたいのですが、


ちょっと、そうとも言えないというか、あまり良くない兆候が出ています。





初期の認知症?とも思えるような感じです。もう恐怖でたまりません。


単なる、熱中症と食事を摂ってない事が原因で、


判断力が鈍り、体力も落ちているだけならいいのですが、


今日だけで、やばい状況が多々発生しました。




自分で預金を引き出すも、幾ら引き出したか覚えてなかったり、

病院に自転車で行っても、どこに止めたも覚えてない。

処方箋までもらってるのに、支払いをしたか覚えてない。




しかも診察、点滴も終わっても、立ち上がる事が出来なかったらしく、


動けないから病院にそのまま居たらしいです。

 
夕刻に自宅に連絡があり、帰らないから迎えにくるよう言われました。


動けない程、体調が良くなくて、病院に行ったというのに、


入院施設もある病院が、そんな連絡してくるのが驚きでした。



 

とはいえ、呼び出しが入ったので、父を迎えに行きました。


ヨチヨチ歩きで何とかタクシーに乗り込むような状態。


帰宅後、自分はまた病院へ行き、周辺を自転車探し。



自転車置き場にもなく、諦めようと思った所、


今、ちょっと寄りましたとでも思えるような状態で、


病院の正面の道路に鍵を付けたまま置いてありました。






母が亡くなってまだ2週間ちょっとです。



もう介護の始まりですか?マジで勘弁してほしいです。






まずは、熱中症のような症状が治まる事が最優先。


とはいえ、いつ不測の事態になるか解らないので、


念のために、近所の包括に駆け込み、


介護保険の申請がすぐ出来るよう手続きはしました。


暫くは様子を見たいと思います。





親ですから面倒はみます。


でも、このまま介護生活なんかになったら、絶対に許さない。


母を看取っておきながら、命あるものがこんな不甲斐ないなんて、


病床の母から何も学んでない事になる訳で、


母の生き様を無駄にしてる。 あの人の無念を何だと思ってるのか。





そう、あえて釘を刺しておきました。




自分だって、日々必死に生活してるんです。




生きてる、生かされてるから、母の分まで必死に生きるしかないんです。


それが一番大切だと早く気付いて欲しいもんです。










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2016年5月16日月曜日

土下座


今日は昼前から出かけました。


午後に墓地の見学を予約してたので、その為ですが、


父が昼を外で食べようとの言うので、早めに出ました。


昼食後、時間に余裕があったので、


斎場等も運営している某仏具店に立ち寄りました。





最近の仏壇は大小さまざまで、デザインもバラエティーに富んでいて驚きました。


その中で気に入ったのは、非常にインテリアにもなじむデザインのもの。


値段はちょっとしますが、仏壇ぽくなくて、邪道かもしれませんが、


どうせ用意するのであれば、家に合って、長く置いておきたい。そう思えるものがいい。




仏具も、円形のおりんやら、位牌はクリスタル製のもの等、


どうなってんの?って位な程、イメージとは違う仏具ばかりで、


見ていて飽きませんでした。




生きてる者としては、形あるものに拘っちゃうもんなんですかね。




一通り見積りをしてもらい、母が眠る事になるであろう墓地の見学へ。


自宅からは車でも行けて、かつ最寄り駅から10分以内にある墓地は、そうありません。


山間部にあるような大規模な墓地ではないので、空間等は多少窮屈には感じました。


でも高台にあり、風通しは良く、ガーデニングタイプ、かつ3名分迄は可能なので、


まず先に眠る母も、寂しい思いはせず、かつ花に囲まれて眠れるのは、


きっと、満足してくれると思い、一応予約を入れておきました。





現地の管理人さんとも色々と話しをして、すっかり打ち解け、


墓地、仏壇等の目途が一応立ち、久々に段取り良く進んで、気分よく過ごせました。




きっと母も協力してくれたのでしょう。




そう思い、帰宅するなり、すぐ自分は夕飯の支度でカレーを仕込みました。


気分良く物事が進んだ日は、ちょっと頑張ろうと思ってやったんです。


そこで事件が発生しました。




父は帰宅するなり、アルコールをかなり摂取していたようで、


かなり、泥酔状態。これ危険信号なんです。


父は自分のストレスやら不安等をアルコールの力で発散させるんです。


飲むだけならいいんですけど、酔うと絡み酒になり、承認要求が強くなり、


口論を誘導するのに、反論されると怒鳴り散らし、過去を持ちだしたり、


人を攻撃する事で、満たされるんです。





これ、吹っ掛けられる家族はたまったもんじゃありません。




母の没後、小さい口論は多々あるんですが、それは全てアルコールを摂取してるとき。


なので、頼むから飲んだ時は、あれこれ言わないか、飲まないように。と頼んでるんですが、


どっちも無理みたいで、何度言っても聞き入れません。





今日は、そんな口論でも年に1回はある大爆発の日になってしまいました。


勿論、父の苦悩は十分に解ります。やり場のない気持ちに、


どう折り合いをつけるのか、日々悩み苦しんでるのだとは思います。




気持ちの整理がつくまで、悲しんでもいい。その分自分が頑張る。


そう思い、気丈に振る舞ってるというのに、今日の暴言はあんまりです。







こういう飲んだ時の口論を母が一番心配していたというのに、

何も語れない母の前で、こんな事態を見せて、どう思うと思ってんの?

申し訳ないと思わないのか。





これで、やっと事態が収拾し、父は気付いたようで土下座をしてました。


本当に理解出来てるのかは微妙ですが、これだけ言いたい事言い放ったんです。


少しは落ち着いたようなので、こちらの気持ちも少しは理解してくれたと思っておきます。





そもそも父に土下座なんてして欲しい訳でも、言い負かしたい訳でもなく、


ただ、無駄な口論は避けて、前に進みたいだけなんです。


こういう事は簡単には癒えるとは思ってませんが、


そのはけ口を家族にするのは、やめてほしい。そうとも伝えました。





今日はそんな1日でした。無駄な負のエネルギーを使う事になり、


どっと疲れが出て、正直1時間寝込んでしまいました。






母へ


ごめん、また喧嘩になっちゃったけど、心配しないで。


何とかやって行くから見守ってて。もし出来るなら、うまく行くよう力を貸してください。


今日の事はごめんなさい。そして墓地はどう?気に入ったかな?





とりあえず予約した墓地です。これでいい?
















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2016年5月13日金曜日

葬儀 最終章 火葬そして帰宅


斎場から火葬場までは、車で10分程度。


ずっと、母の遺影と一緒に、車の外の景色を見てました。


天候には恵まれて快晴でしたが、


気持ちは、天気と同じように晴れやかになれずにいました。





道端に植えられた花、楽しそうにドライブに向かう一家。


道を急ぐ人達。世の中は、このちっぽけな一家の悲しみなんて、


何もないかのように、いつも通りに動いています。



 


そんな世の中に、母も66年生きていました。


地方から出て来て、働き、結婚して、子育てをし、誰にも頼らず必死に生きてきました。


母の人生は一言でいうと、「忍」だったと思います。


ひたすら耐えに耐えていた。今の時代に、何とも損な生き方だったことでしょう。


もっと頼ってもいいし、もっと自己主張したっていい。


我慢するだけが人生じゃない。


これまでの損を取り戻してほしい。


そんな思いから、要介護になった母を見て来ました。





母は、そんな過去から決別出来て、少しは自分らしく生きてこれたんだろうか。





そんな事を思ってると、車は火葬場に到着しました。


スタッフの方から、棺、位牌、遺影、親族の順に入るよう促され、


指定の火葬炉の前まで移動しました。





何かしらの説明をされてましたが、正直覚えてません。


もう、母という姿すら、目にする事が出来ない。


この事が、余りにもショックで、ショックで耐えられませんでした。


一通り説明が終わった後、




では、お預かりさせて頂きます。




その言葉に、自分は頭が真っ白になりました。


横に居た祖母は、泣き叫んでました。




○○(母の通称)、どうしてババアより先に行くの。

○○、どこに行くの。。。





大きなステンレス製の扉が自動で開き、その中に棺が納められて行きます。


自分は、声すら出ませんでした。棺が所定の場所に納められ、


その扉が閉まっていく中を合掌で見送りました。




この後は上の待合室で。。。




それ以上は、何も耳には入ってきませんでした。




待合室では飲食を楽しみました。


気丈におしゃべりして、和ませてくれてる祖母。


申し訳なかったのですが、自分はなかなかそんな気分にはなれませんでした。




食事も喉を通らず、ビールも全くおいしく感じませんでした。


ですが、落ち込んでる暇はなく、お酌して回るうちに少しづつ、


会話にも参加する事ができ、食欲も少しだけ出てきました。





1時間半~2時間程度で、お呼びがかかり、


喪主の父、自分と祖母の3名で、直接お骨の確認、


その他の人はガラス越しに様子を見るよう言われました。




こちらです。


と出されたその姿。。。





当たり前ですが、骨しか残ってません。


もっとしっかり標本のような形をしてるのかと思いきや、


そこまで残ってませんでした。一応体の形になってるようですが、


もう、それは母なのか、全く判別できない別の存在かのようでした。




こんな姿に。。。




スタッフの方は、体の部分を説明していましたが、


やはり右足は壊疽の影響か、足首からつま先までの骨が全く残ってませんでした。





そして、お骨を骨壺に入れ、残ったお骨は、


火葬場のスタッフの方が、説明しながら納めて下さいました。






かなり、しっかりしたお骨で、とてもキレイです。

これが喉仏です、きれいな形をされてます。

骨の量もとても多くて立派です。





そんな事を言ってました。


確かに母のお骨は、骨壺一杯になりそうな程の量でした。


病気さえなければ、まだまだ元気だったはずの母。


でも、もうその姿すら想像できない形になり、


骨壺に納まってしまう位に小さくなってしまいました。






一通り終わり、骨壺は重いので若い自分が持ち、父は位牌、


祖母が遺影を持って、告別式の行われた斎場へ戻り、その後はそこで解散しました。





自宅につき、お骨を所定の場所へ安置して。





やっと帰れたね、おかえり。






そう声をかけてあげました。







母の介護生活は終了しました。


入退院等もあったりしたので、母の不在に寂しさは感じません。


それは病院に行けば会えたからです。


ですが、今回は母がもうこの世には存在していない事になり、


こればかりは、今でも寂しく感じます。


事あるごとに母のお骨の前で、あれこれ話しかけては、悲しむ事もあります。





でも、生きてる、生かされてる以上は、母の分まで精一杯生きていくつもりです。


いつまでも泣いていないで前に進みなさい。そんな母の声が聞こえて来そうです。


自分が最後に母に送った花、ガーベラの花言葉って「常に前進」だったんですね。


オレンジ色のガーベラでは「我慢強さ」と、皮肉にも自分に必要なことばかり。





母が旅立って一週間。今はお墓を探したり、


父がやはり仏壇だの戒名だの言い出してますので、


それに向けて色々と動いております。





そして、最大の難関である、社会復帰。


これが出来なきゃ母はゆっくり見守る事も出来ないでしょう。


今はとりあえず、キャリアの棚卸と求人のチェック等をしてます。






正直、まだ身軽に動ける状態ではないですが、それでも立ち止まらず進んでます。


温かく見守ってくださるとうれしいです。




介護は終わりましたが、お墓の進捗等もあるので、ブログは更新していきます。


当初は不満や愚痴等、はけ口にしてましたが、今では少し恥ずかしい気もします。


でも、これは全て本音であり、ありのまま、思ったままを綴ってきました。



今後共、お付き合いの程、よろしくお願いします。



おかえりなさい。ゆっくり休んでな。

















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2016年5月11日水曜日

葬儀 その3 告別式


これが本当に最後のお別れです。


してあげられる事も、これが最後です。


後悔しないよう、準備をして当日は朝9時に出発したのですが、


タクシーで先に自分を降ろすはずが、


親父が突如自分の都合だけで目的地を変更し、


自分を降ろす事が後回しになり、それによる時間ロスが発生。


ホテルの支払い、必要な買い物で、また駆けずり回り、到着が告別式ギリギリに。






ひと息つけたものの、汗が引かないまま告別式が始まりました。


祖母からは、またこんなに汗かいて。と言われてしまいました。





前日の通夜と同じ会場で何ら変わりもないのですが、


今日はどこが違う空気を感じました。


告別式です。もう母とお別れする事になるからです。




式は通夜と同じ、喪主からの焼香に始まりましたが、


ほぼ親族なので、すぐに終わってしまい、次は喪主である父の挨拶。


ずっと考えていたのを知ってましたが、あえて口出しせず、


本人が思う事を、思うままに伝えたらいい。そう思って見守ってました。



ちょっと無骨でしたが、シンプルで何とも父らしい言葉でした。




そして、最後のお別れをする為に、棺を移動し会場の中央に置く為、一時中断。





15分程で再び呼び戻され、母の棺は会場の中央に置かれてました。


司会進行の方から、




では○○さん(自分の名前)、このタイミングでご準備されてた事をお願いします。





そう言われました。




身だしなみ、メイクの直しの時間が欲しいとお願いしておいたのです。


通夜の時にも出席された母の友人からも言われたのですが、





もうちょっとメイク直してあげるのと、白髪を白髪隠しで隠してあげた方がいいよ。

いつもきれいにしてたんだから、このままじゃ可哀想だからね。





と、アドバイス頂いてたのと、自分もどうも、ファイナルメイクがしっくり来なかったので、


出来るだけいつもの母に近い状態で見送りたく、常日頃使っていた、


小さい化粧ポーチを持ってきてたのです。




そのポーチの中には、眉を描くペンシル?と、口紅がいくつか入ってます。


いつも介護施設行く時のドタバタで、口紅だの入れてあげたり、


持ち物の確認で、何度もそのポーチをバッグの中に入れて持たせていましたので、


その中には最低限のメイク道具は入ってることは知ってました。


ただ白髪隠しは、家になかったので、買いました。




まずは、白髪隠しを塗ってあげる事に。


然程時間がない事は解ってたので、慌ててしまい棺に液体を付けてしまいました。


また、しっかり塗ってるのですが、どうも色が付かなくて苦労しました。



母は、この1か月の入院中2回しか洗髪してもらってなく、


ここ10日程、洗髪もしてもらってなかったので、油分を含んだ頭髪が、


液体を弾いて色がなかなか定着してくれませんでした。




仕方ないので、頭髪は程ほどにして、メイクの方を直すことに。


薄くですが眉毛を描き、祖母には口紅を塗ってあげて下さいとお願いしました。


でも、祖母は、別れが近い為か、動揺してしまってうまく塗れないと、



途中で投げ出してしまったので、自分が塗ったのですが、


すっかりドライアイスで冷え切った母の体は、口紅も部分的に濃く付くだけで、


全体に伸びてくれません。最後は指で口紅をなじませてあげました。




冷え切った体に触れて、改めて死を実感させられた瞬間でした。




そろそろ。と声がかかったので、


旅立ちの身支度を終え、思い出の品物を棺に入れました。


まずは、一番似合うであろう、良く着ていたチュニックを母の体にかけ、


首元には、以前から持っていたエルメスのスカーフを。


そして、思い出の品物として、最近まで履いていた普通の運動靴。

 
介護施設で工作した物。バスツアーで一緒に行った清里の絵葉書、


熊のマスコットが縫い付けてある、ポッシェットなど。。。


それぞれをの品物を棺に入れる際、




これ好きだったでしょ。とか、


ここ一緒に行ったよね、楽しかったね。と


母に声をかけながら棺に入れました。







そして、次に花で母を飾り付けました。


式場にも花はあったのですが、当日は母の日と言う事もあり、


花屋に寄って、母に似合う花を選んで買ってきたのです。


葬儀屋さんからも、会場を花で飾るのは、一番コストが高くつくから、


気に入った花を買ってきて、それを棺に入れてあげるのがいいですよ。と言われていたので、


最後の母の日です。旅立ちに恥ずかしくないような花を必死で選びました。




このタイミング、そう母の日に葬儀なんて、親不孝なような、申し訳ないような、


そんな気持ちで一杯になりながら、恥ずかしくない花を選んだつもりです。






カーネーションは、珍しい色合いの薄いピンク系、


店頭で、はつらつと咲き、元気だった頃の母のような、オレンジ色のガーベラ、

 
あとは花の名前が解らないのですが、

 
店員が選び母のイメージに合うと判断した物をいくつか。


花も同じく、なぜこれを選んだか母に話しかけながら、棺の中に入れ母を飾りました。


本当は、好きなハナミズキを入れてあげたかったが、花屋では買えなくて諦めました。




買ってきた花で飾った後は、会場にある花も棺に入れました。


花で飾り付けも終了し、いよいよ出棺です。


その前に、最後のお別れを一人ひとりがしました。





喪主である父は、何度も、ありがとう。と言ってました。


そして次は自分の番。母に伝える事が出来る最後の言葉です。





あなたは立派は母親であり、時にはいい相棒、


そして時にはいい友人であり、俺の一番の理解者でした。


あなたを誇りに思います。もう苦しまなくていいからね。ゆっくり休むんだよ。


そして自分達の事を見守って下さい。あんたの子供で良かったよ。ありがとう。





もっとたくさんの事を伝えたかったのですが、


 やはり、言える事はこれしかありませんでした。


全員が最後の別れをした後、父は位牌を、自分は遺影を持ち、とうとう出棺です。







母の棺の後に続きながら、今日もあれだけ汗だくになったのに、


溢れ出る涙は止まる事なく流れ続け、もう先すら見えないような状況で、



火葬場に向かうバスに乗り込みました。




つづく










通夜にて。ここまでしてくれる、母の友人の心配りに改めて感謝。


















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2016年5月9日月曜日

葬儀 その2 通夜


母に心配はかけたくない。


けど日々親父と怒鳴り合いになりながら、何とか迎えた通夜。


勿論、口論なんぞしたくないし、母も父との確執が一番気になってたはず。


残された者が、いがみ合い、ののしり合うのは、みっともないですし、


なにより母が浮かばれません。




確かに、まだ受け入れたくない現実でもありますが、


やるべき事は沢山ある訳で、お互い相談しながら進めたいのに、


勝手に見切りで動いて、あえて忙しくしていながら、パニックになる。大体こんな感じです。



どうやって折り合いをつけたらいいのか、まだ父は解らずにいるのでしょう。


本当に疲れるのですが、怒鳴り合う事で、父が楽になるなら付き合うしかありません。







言い合いはしたけど、葬儀は別。


母の偲んでわざわざ来てくださる方達ばかりです。


母の築きあげてきたものに恥ないよう、しっかりやるつもりで会場に入りました。




事実上、通夜の会場で、親族や参列者一同が集合する形になりました。


声をかけた人は、母方の親族、父方の親族、母の知人や友人、父の職場の方、


ざっと20人は越えてしまいました。これは、もう家族葬ではないですね。





喪主は父、自分は失礼がないよう、参列された方々のフォローに。


お隣に住むご夫婦が、そうそうに到着され、母に手を合わせて下さった後、


思い出の品物や写真を見て回り、その説明をしたりしてました。




そして、次に母方の親族が9名程到着しました。


入り口で会うなり、自分はお母さん(祖母)を呼び止め、





こんな結果になって申し訳ございません。


本当の事を伝えたかったのですが、言えませんでした。





と、ここ1か月の母の経過と、病状の事実を伝え、ひたすら謝罪しました。




お母さん(祖母)は、そんな細かいことはいい。と言ってはくれましたが、


我々と同じように、悔しい思いもしてたと思ってます。


ただ、入院中でしたが、顔が見れたのは、良かった。


そう言ってくれたのが唯一の救いでした。






そして、母方の親族をお通しして、祖母に寄り添いながら、


母の顔を見てもらったり、飾った写真などを見ながら思い出に浸ったりしました。


喪主である父が行き届かない分、


失礼のないよう、会場内を必死で駆けずり回っていました。







そんな中、介護施設で知り合ったメンバーの方々も、様々な病気をお持ちなのに、


無理してお別れに来てくださったのは、本当にうれしかったです。


病気で不自由だった母を受入れて、お付き合いしてくださった方々です。





どうしてよ。あんたが一番元気だったのに。。。





とある一人の方がそう言う声が耳に入ると、ドタバタと挨拶等に追われ、



忙しくて泣く暇もない程だった自分の目からは、涙が出ていました。


本当に愛されてたんだな。そう感じました。




葬儀自体は無宗派で行ったので、淡々と各自焼香をして終了。


その後の食事とお酒を、殆どの方が残って楽しんで頂けたのは良かったですが、


何せ20人越えで会場の空調もなかなか効かなくて、最後まで汗を拭きながら、


お酒を注いだり、思い出話に華を咲かせたり、父の事をよろしくと頼んだりで、



気付いたらお開きの時間に。





通夜って実際はこんなものなんでしょうかね。


ゆっくり母とお別れする機会と思いきや、想像とは全く違うのもで、正直疲れました。




解散後は母方の親族と合流して、簡単に居酒屋で食事を取り、


ここでやっと、ゆっくり話したりしながら、楽しい時間が過ごせました。







そんなこんなで、帰宅したのは、23時を回ってました。



そして、翌日は、いよいよ本当のお別れ、告別式。


通夜では泣き崩れる事はなく、汗だくで走り回ったのですが、


告別式では、そうはいかない。何となくそんな思いを持ちながら就寝しました。


つづく




もう少し花を飾りたかった気もしますが、
全体的にまとまっていて、満足しています。
(クリックで拡大できます)

















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葬儀 その1 看取り~手配まで


母が旅立ってから、怒涛のようなスケジュールで、


更新滞ってしまいましたが、とりあえず無事に一通り終える事が出来ました。


告別式は、何の因果か母の日になってしまい、なんとも親不孝なような、


複雑な気持ちでおります。せめて母の日まで生きていて欲しかった。。。




今後、母の日が来るたびに、告別式の事を思い出すのでしょう。





看取った後の病院から通夜、告別式までをブログにしたいと思ったのですが、


何せ長くなるので、今回は葬儀までを記録したいと思ってます。


少し長くなるかも知れません。お時間のある時にゆっくり読んでください。







看取った後の病室では、小一時間程、看護師さんが母の身支度を整えて下さいました。


その後の母の顔を見て、驚いてしまいました。どうみても、いつもの母の顔ではないんです。


メイクも母がするような物ではありませんでしたが、その影響ではなく、


どうみても、顔自体が変わってしまってるように見えました。



「こんなの俺のお袋じゃない」



そう思いながらも、病室で待つと、霊安室の委託業者が到着し、


地下の霊安室へ母の遺体と共に移動することに。




始めての体験だったのですが、霊安室では遺体を預かってはくれないんですね。


葬儀までどこに移動(保管)するのか、互助会等に入ってるのか、


今後の葬儀等の予定をいきなり聞かれ、全くの予想外の展開で困り果てました。




予断を許さない状況とは言われてましたが、覚悟は出来ていても、


さすがに、葬儀の手配まではしてなかったんです。てか、そんなの出来ませんでした。






話しを聞くと、その委託業者も葬儀の手配は出来るとの事。


とりあえず話は聞き他社と比較しようと思い、説明を受けてる矢先、


霊安室のホールからは、激しく泣き叫ぶ声が響いてきました。




どうやら、事故か何かで若い方が亡くなられて運ばれてきたようでした。


その方の母親なのでしょう。トイレに行く際にホールに出たのですが、


状況が状況だけに、ジロジロは見ませんでしたが、


ご家族も項垂れていて、あまりも突然の出来事で、ただ絶望されてるように見えました。






自分達も母を亡くしたばかりですが、その家族が気の毒で気の毒で、


もう心が張り裂けそうでした。と、同時に、自分達は母が1か月頑張ってくれたおかげで、


それなりの覚悟が出来、最期を看取れた事は、非常に恵まれてると思いました。





同じタイミングで大切な家族の一員をを失ったあの家族が今でも心配です。


そして、亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。





そんな状況なので、別室に居る自分達も、


なかなか業者の説明が入ってきませんでした。





葬儀自体は簡素な家族葬を希望したものの、


しかし、なかなか具体的な総額が出てきません。





葬儀は細かい部分が色々あるので、明日正式な見積もりで確定させます




腑に落ちませんでしたが、とりあえず希望通りの葬儀が出来そうだったのと、

 

連日暑くなってきてた事もあり、母を自宅での保管するのは温度管理等難しいとの指摘もあり、



業者に預かってもらうことにし、翌日の訪問をとりあえずOKしました。


そして母は早速、我々が見守る中、病院からその業者の施設へ移動しました。





その翌日、営業担当の方が来ました。


説明を聞くうちに、葬儀で一式いくら。は、かえって後悔度が増すと思いました。


葬儀自体に必要となる祭壇や生花、棺、霊柩車、遺影、礼状、


お骨を入れる容器に始まり、火葬場までの移動手段(バスチャーター)、


これらには、それぞれ素材やデザイン等の好みの問題等もあり、


その他、会場代や通夜、告別式での飲食等も同様です。




安くてもいいと思える部分と、ここはもう少しレベルアップ等、


それぞれ好みもある事です。だからこそ、細かく見積りをしてもらうのが得策です。




一式いくらは一見明瞭ですし、大切な人を亡くしてすぐ葬儀の手配に気分が乗らず、


全てお任せしたくなる気持ちも分かりますが、明瞭な料金設定と言うのは、


その分、削れるところはしっかり削られてるのが現実。


写真で見たより、見劣りするような物だったり、ガッカリする可能性が大きいです。





面倒でも、やはり打ち合わせをしながら、見積りを取るのがベストです。




とはいえ、一括でも良心的であったり、満足できる葬儀社もあると思います。






全てがダメではありませんが、事前に時間をかけて検討してない限り、


短時間で決めなくてはならないので、その点は注意してください。





我が家はちなみに、会場代、飲食代を除いて、100万円程度。


家族葬とは言っても、母方の親族やら友人も来るので、この程度になりました。






そして、葬儀の日程も決まり、しかるべき人達に母の訃報を一斉に連絡。


供花はすべてお断りしました。遠方からきてくださる方も居るのと、


葬儀自体を飾ったところで母が喜ぶとは思えなかったんです。


どうせなら、棺の中を花で飾って欲しい。


そう思っての判断です。




親族以外、みんな元気で居ると思ってた人が多く、驚かせてしまう事になり、


非常に申し訳なかったと思ってます。とはいえ、いつどうなるか解らない。


そう言われて1か月、同じような緊張状態を家族以外の方に感じて欲しくはなかったんです。




連絡が終わると、こちらも葬儀の準備を始めました。



つづく



















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2016年5月4日水曜日

終焉


今朝7時過ぎ、ついに携帯に着信がありました。


表示されてる名称は母が入院する病院です。





「呼吸が乱れていて、体調が良くないので、すぐ病院に来てください。」





とうとう、その時が来たようです。




朝食中の父に、その旨を伝え、タクシーを呼んで病院に向かいました。



抜けるような青い空と白い雲。なのに、強風が吹く荒れ模様。


その影響なのか、電車も遅延してるようで、なかなか踏切が開こうとしません。




車内の会話を聞いていた運転手が、機転をきかせて、


どうにか迂回路を見つけて線路を渡り、病院に到着しましたが、


いつもの倍の時間がかかってしまいました。




病室に着くと、母は酸素マスクを付け、


口を開けてわずかな力で、一生懸命呼吸してました。




何度も何度も呼びかけ、何度も何度もありがとうと言い、


何度も何度も、あんたの子供で良かったと言いながら、ひたすら母の手を取ってました。





途中何度も心電図のアラームが鳴り、表示がゼロになっては吹き返したり、


そんな状況を数回繰り返しながら、到着から2時間後。


母は息を引き取りました。





ただでさえ半身麻痺で、いろいろな事を諦めてきたというのに、


入院して1か月。さらに追い打ちをかけるような病状で、



見る事も、話す事も、体を動かす事も出来ず、ここまで生きてきた母。


足にも血栓が飛び、壊疽までしていたのに、本当に良く頑張ってくれたと思います。


きっと、自分達が母の旅立ちの準備が出来るよう、


苦痛にひたすら耐え続けていたんではないか。そんな気がしてなりません。








今日、全てが終わることになりました。


今は悲しみや絶望、喪失感もありますが、それより自分で納得できるまでやり切った感と、


もう母が苦しまなくていい事、病院からの呼び出しがなくなる事に、


なぜか、安堵する気持ちで、案外落ち着いてます。


不思議なのは、母の肉体は無くても、母に包まれてるような感じがするのです。




子供の歌のように、おかあさんっていい匂い。。。そんな気分です。



ほんと何もかも段取りが完璧な母でした。





もう一度だけ言います。


俺、アンタの息子で良かったよ。1人の人間として、母として、


あなたを誇りに思うし、小さな幸せを沢山くれてありがとう。


もう苦しまなくていいんだからね。ゆっくり休むんだよ。


俺の事は、いつも見守っていてな。




ありがとう。


だけど、やっぱ寂しいね。





母の日までは無理だったけど、お祝いはするよ。


















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2016年5月2日月曜日

終活


昨夜、終活に関する番組をやってましたね。


何とも、恐ろしい位の絶妙なタイミングですが、


有り難く見させて頂きました。

 
誰でもいずれは経験する事。でも、受け入れたくはない現実。



考えてはみるものの、縁起でもない。とか思い、遮断してしまいがちですが、



先に経験された方の意見は、非常に貴重だと感じました。







実は、以前から、母にそれとなく、


終活について何度か尋ねた事があるんです。


この手の番組をあえて一緒に見て、さりげなく聞いてみたり、


健康番組等を見た後で、生活習慣の改善を目的として、


あれこれ今の問題を提起し、その延長線上で終活。と言った感じです。




今の生活のままでは、再発する可能性もあるんだよ。

今度、再発したら、もう絶望的になっちゃうかも知れないし、

もし、寝たきりになったら、どうするの?





みたいな感じから入り、


さりげなく葬儀や延命治療について、聞いてました。





この時の回答が、今の母の考えと同じかどうかは解りません。


その点は気になるのですが、結局は家族が辛い決断するのは事実。


ならば、少しでも意思表示しておくことで、家族の悩みの軽減にはなる。


このブログを読んでる皆さんは、どうされてますか?





自分が恵まれてるのは、こうやって準備する事が出来るという事。


そういう意思表示を一度は知る事が出来てるというのは、


非常に有り難いと思ってます。








ここ最近の母ですが、いまだ余談は許さない状況。



時々熱を出したりしていますが、見る限りでは安定しているようです。


ただ、足だけはどうにもならず、悪化しています。





先日、母が通ってたデイのスタッフさんが、わざわざお見舞いに来てくれました。




以前から、余程の事が無い限り、親戚等にも伝えなくていいと言ってたので、


母が話せたら、きっと呼んだ事は嫌がったとは思います。


でも、自分はあえてお見舞いに来ていただく事を承諾しました。




なぜなら、母が築きあげて来た人間関係です。


母を心配して見舞いたいと言ってくださる事は、


それだけ母を大切にして下さった方々です。


それに、家族だけの病室は、心労も重なってますから、


空気が重くなりがちです。





そんな雰囲気や、母の容態や心理状態、病室の空気等も含めて、


全て一度破壊したいと思ったんです。





母は、そのスタッフの方の声をちゃんと聞き取れていて、


一生懸命手を握ったり、足を動かしたりして、アピールしてました。





元気に振る舞う事で、少しは違う何かが出てきてるかもしれません。


とは言え、まだ予断を許さない状況が続きそうです。


だったら、母を慕ってくれる人に囲まれて、少しでも楽しい時間、


そんな人達と出会えた喜びを味わって欲しい。




そう思って、面会をどんどん受け入れるつもりです。





人に囲まれる事。母は嫌ってましたが、そう悪い事ではない。



それに気付いてもらえたら、嬉しい限りです。

















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