母に心配はかけたくない。
けど日々親父と怒鳴り合いになりながら、何とか迎えた通夜。
勿論、口論なんぞしたくないし、母も父との確執が一番気になってたはず。
残された者が、いがみ合い、ののしり合うのは、みっともないですし、
なにより母が浮かばれません。
確かに、まだ受け入れたくない現実でもありますが、
やるべき事は沢山ある訳で、お互い相談しながら進めたいのに、
勝手に見切りで動いて、あえて忙しくしていながら、パニックになる。大体こんな感じです。
どうやって折り合いをつけたらいいのか、まだ父は解らずにいるのでしょう。
本当に疲れるのですが、怒鳴り合う事で、父が楽になるなら付き合うしかありません。
言い合いはしたけど、葬儀は別。
母の偲んでわざわざ来てくださる方達ばかりです。
母の築きあげてきたものに恥ないよう、しっかりやるつもりで会場に入りました。
事実上、通夜の会場で、親族や参列者一同が集合する形になりました。
声をかけた人は、母方の親族、父方の親族、母の知人や友人、父の職場の方、
ざっと20人は越えてしまいました。これは、もう家族葬ではないですね。
喪主は父、自分は失礼がないよう、参列された方々のフォローに。
お隣に住むご夫婦が、そうそうに到着され、母に手を合わせて下さった後、
思い出の品物や写真を見て回り、その説明をしたりしてました。
そして、次に母方の親族が9名程到着しました。
入り口で会うなり、自分はお母さん(祖母)を呼び止め、
こんな結果になって申し訳ございません。
本当の事を伝えたかったのですが、言えませんでした。
と、ここ1か月の母の経過と、病状の事実を伝え、ひたすら謝罪しました。
お母さん(祖母)は、そんな細かいことはいい。と言ってはくれましたが、
我々と同じように、悔しい思いもしてたと思ってます。
ただ、入院中でしたが、顔が見れたのは、良かった。
そう言ってくれたのが唯一の救いでした。
そして、母方の親族をお通しして、祖母に寄り添いながら、
母の顔を見てもらったり、飾った写真などを見ながら思い出に浸ったりしました。
喪主である父が行き届かない分、
失礼のないよう、会場内を必死で駆けずり回っていました。
そんな中、介護施設で知り合ったメンバーの方々も、様々な病気をお持ちなのに、
無理してお別れに来てくださったのは、本当にうれしかったです。
病気で不自由だった母を受入れて、お付き合いしてくださった方々です。
どうしてよ。あんたが一番元気だったのに。。。
とある一人の方がそう言う声が耳に入ると、ドタバタと挨拶等に追われ、
忙しくて泣く暇もない程だった自分の目からは、涙が出ていました。
本当に愛されてたんだな。そう感じました。
葬儀自体は無宗派で行ったので、淡々と各自焼香をして終了。
その後の食事とお酒を、殆どの方が残って楽しんで頂けたのは良かったですが、
何せ20人越えで会場の空調もなかなか効かなくて、最後まで汗を拭きながら、
お酒を注いだり、思い出話に華を咲かせたり、父の事をよろしくと頼んだりで、
気付いたらお開きの時間に。
通夜って実際はこんなものなんでしょうかね。
ゆっくり母とお別れする機会と思いきや、想像とは全く違うのもで、正直疲れました。
解散後は母方の親族と合流して、簡単に居酒屋で食事を取り、
ここでやっと、ゆっくり話したりしながら、楽しい時間が過ごせました。
そんなこんなで、帰宅したのは、23時を回ってました。
そして、翌日は、いよいよ本当のお別れ、告別式。
通夜では泣き崩れる事はなく、汗だくで走り回ったのですが、
告別式では、そうはいかない。何となくそんな思いを持ちながら就寝しました。
つづく
もう少し花を飾りたかった気もしますが、 全体的にまとまっていて、満足しています。 (クリックで拡大できます) |
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