2016年5月13日金曜日

葬儀 最終章 火葬そして帰宅


斎場から火葬場までは、車で10分程度。


ずっと、母の遺影と一緒に、車の外の景色を見てました。


天候には恵まれて快晴でしたが、


気持ちは、天気と同じように晴れやかになれずにいました。





道端に植えられた花、楽しそうにドライブに向かう一家。


道を急ぐ人達。世の中は、このちっぽけな一家の悲しみなんて、


何もないかのように、いつも通りに動いています。



 


そんな世の中に、母も66年生きていました。


地方から出て来て、働き、結婚して、子育てをし、誰にも頼らず必死に生きてきました。


母の人生は一言でいうと、「忍」だったと思います。


ひたすら耐えに耐えていた。今の時代に、何とも損な生き方だったことでしょう。


もっと頼ってもいいし、もっと自己主張したっていい。


我慢するだけが人生じゃない。


これまでの損を取り戻してほしい。


そんな思いから、要介護になった母を見て来ました。





母は、そんな過去から決別出来て、少しは自分らしく生きてこれたんだろうか。





そんな事を思ってると、車は火葬場に到着しました。


スタッフの方から、棺、位牌、遺影、親族の順に入るよう促され、


指定の火葬炉の前まで移動しました。





何かしらの説明をされてましたが、正直覚えてません。


もう、母という姿すら、目にする事が出来ない。


この事が、余りにもショックで、ショックで耐えられませんでした。


一通り説明が終わった後、




では、お預かりさせて頂きます。




その言葉に、自分は頭が真っ白になりました。


横に居た祖母は、泣き叫んでました。




○○(母の通称)、どうしてババアより先に行くの。

○○、どこに行くの。。。





大きなステンレス製の扉が自動で開き、その中に棺が納められて行きます。


自分は、声すら出ませんでした。棺が所定の場所に納められ、


その扉が閉まっていく中を合掌で見送りました。




この後は上の待合室で。。。




それ以上は、何も耳には入ってきませんでした。




待合室では飲食を楽しみました。


気丈におしゃべりして、和ませてくれてる祖母。


申し訳なかったのですが、自分はなかなかそんな気分にはなれませんでした。




食事も喉を通らず、ビールも全くおいしく感じませんでした。


ですが、落ち込んでる暇はなく、お酌して回るうちに少しづつ、


会話にも参加する事ができ、食欲も少しだけ出てきました。





1時間半~2時間程度で、お呼びがかかり、


喪主の父、自分と祖母の3名で、直接お骨の確認、


その他の人はガラス越しに様子を見るよう言われました。




こちらです。


と出されたその姿。。。





当たり前ですが、骨しか残ってません。


もっとしっかり標本のような形をしてるのかと思いきや、


そこまで残ってませんでした。一応体の形になってるようですが、


もう、それは母なのか、全く判別できない別の存在かのようでした。




こんな姿に。。。




スタッフの方は、体の部分を説明していましたが、


やはり右足は壊疽の影響か、足首からつま先までの骨が全く残ってませんでした。





そして、お骨を骨壺に入れ、残ったお骨は、


火葬場のスタッフの方が、説明しながら納めて下さいました。






かなり、しっかりしたお骨で、とてもキレイです。

これが喉仏です、きれいな形をされてます。

骨の量もとても多くて立派です。





そんな事を言ってました。


確かに母のお骨は、骨壺一杯になりそうな程の量でした。


病気さえなければ、まだまだ元気だったはずの母。


でも、もうその姿すら想像できない形になり、


骨壺に納まってしまう位に小さくなってしまいました。






一通り終わり、骨壺は重いので若い自分が持ち、父は位牌、


祖母が遺影を持って、告別式の行われた斎場へ戻り、その後はそこで解散しました。





自宅につき、お骨を所定の場所へ安置して。





やっと帰れたね、おかえり。






そう声をかけてあげました。







母の介護生活は終了しました。


入退院等もあったりしたので、母の不在に寂しさは感じません。


それは病院に行けば会えたからです。


ですが、今回は母がもうこの世には存在していない事になり、


こればかりは、今でも寂しく感じます。


事あるごとに母のお骨の前で、あれこれ話しかけては、悲しむ事もあります。





でも、生きてる、生かされてる以上は、母の分まで精一杯生きていくつもりです。


いつまでも泣いていないで前に進みなさい。そんな母の声が聞こえて来そうです。


自分が最後に母に送った花、ガーベラの花言葉って「常に前進」だったんですね。


オレンジ色のガーベラでは「我慢強さ」と、皮肉にも自分に必要なことばかり。





母が旅立って一週間。今はお墓を探したり、


父がやはり仏壇だの戒名だの言い出してますので、


それに向けて色々と動いております。





そして、最大の難関である、社会復帰。


これが出来なきゃ母はゆっくり見守る事も出来ないでしょう。


今はとりあえず、キャリアの棚卸と求人のチェック等をしてます。






正直、まだ身軽に動ける状態ではないですが、それでも立ち止まらず進んでます。


温かく見守ってくださるとうれしいです。




介護は終わりましたが、お墓の進捗等もあるので、ブログは更新していきます。


当初は不満や愚痴等、はけ口にしてましたが、今では少し恥ずかしい気もします。


でも、これは全て本音であり、ありのまま、思ったままを綴ってきました。



今後共、お付き合いの程、よろしくお願いします。



おかえりなさい。ゆっくり休んでな。

















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